愛と執着
「感情と思いやり」「愛と執着」について、ダライ・ラマの本に載っていたので紹介します。
愛と慈悲の心とは、いったいどういう心なのでしょうか?
そしてこれと似た感情に執着がありますが、執着とはどういう心なのでしょうか?
愛と執着という二つの感情は、他者に対する親密な感情をもっているという点で、とても似た性質をもっていますね。そしてもちろん、親密な感情に加えて、相手に対する関心と思いやりも存在しています。それではこの二つの感情の違いは何なのでしょうか?
本当の意味での愛と慈悲は、偏見のない心です。しかし、執着は偏った見方をする心なのです。さらに、愛と慈悲の心は智慧と密接に結びついていますが執着は煩悩に、究極的には無明に結びついているのです。
ほとんどの宗教は、愛と慈悲がいかに大切であるかを説いていますね。そこで説かれているのは本物の愛と慈悲のことですから、その教えには忍耐の心を養うこともともに説かれています。
しかし、執着は偏見に基づいた心なので、ある特定の人にだけ執着をするわけですから、その他の人たちに対しては距離を置いていることになります。そこで、執着と怒りとは同時に起こってくるのです。なぜならば、これらの感情は偏見に基づいているため、自分の好きな人に対しては執着心を起こし、嫌いな人に対しては嫌悪の心を起こすからです。偏見に基づいた心は、実際のありようをゆがめて見てしまいます。
本当の意味での愛と慈悲は、決して怒りの心とともに起きてくることはありません。本物の愛と慈悲は、現実を広い目で巨視的に見ているため、偏見をもつことはなく、怒りの心が生じる余地もありません。
また、相手に対する親密な感情に基づいて生じる執着の心は、相手の人の態度に依存しています。相手が自分に対して友好的な態度を示し、その人がとても素敵な人に見えるとき、私たちの心には執着の心が芽生えてくるのです。
ところが愛と慈悲の心は、相手が自分に対してどんな態度をとるかによって変わることはありません。相手も自分と同様に幸せを望み、苦しみをなくしたいと望んでおり、それらの望みをかなえる権利をもっているという点においても、自分とまったく変わりはないのだという理解に基づいて、相手のことをやさしく思いやる心が愛と慈悲なのです。ですから相手が敵であっても、友人であっても、愛と慈悲の心は決して分け隔てをすることはありません。
敵も友人も、どちらも苦しみや痛みを望まぬ命ある存在であるという意味で、自分と何一つ変わりない同じ1人の人間なのですから、彼らもみな苦しみを乗り越え、幸せになる権利をもっているのだということを考えることによって、すべての人たちに対する親密な感情を育て、思いやりを育むことこそ、本物の愛と慈悲の心なのです。
思いやり ダライ・ラマ14世(著)
私が通っているスクールのゲリー先生は、相手が自分を賞賛している時も非難している人にも、相手が自分に対してどんな態度をとっても、揺らがないと自分を見つけなさいと言っていました。
自分を褒めてくれる人がいて、それでやたら喜ぶとしたら・・・それは誰かに非難された時には落ち込んだり悲しんだり怒るということになります。それは同じコインの表と裏、同じことなのですね。相手の評価や態度によってではなく、自分自身を認め、愛することができたら、だんだん人の態度によって、揺らぐことはなくなってくると言っていました。
だから、ゲリーは自分を非難する人がいても、褒められても、尊敬されても、馬鹿にされても・・・全然気にならないそうです。必要なのは、誰か他の人の評価ではなく、自分自身を認め、信頼することです。100%自分を認め、信頼することが出来たら、他人の自分に対する態度や評価は気にならなくなってくるそうです。
なかなかゲリーのようにはいきません・・・ものすごい努力が必要な時、しばらく瞑想しないと気分の悪さとか怒りが抜けない時もあります。自分が気分のよい時、調子のよい時には出来ても、調子の悪い時にはとても難しかったりします。でも難しくても、日々努力をしています。
ダライ・ラマが言うように、相手が敵であっても、友人であっても、分け隔てなく、愛と慈悲の心をもてるようになるよう・・・になるのは大変ですけど、思いやりを育むよう、一歩一歩進んでいきたいと思っています。
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コメント
はじめまして。
あまりんさんのブログ更新を
楽しみにしているものの一人です。
とてもいいお話をありがとうございました。
ちょうど「慈悲」や「チベット」のことに意識が向いていたので、この記事にシンクロしたみたいで、嬉しかったです。
そして「揺るがない自分」を確立する・・・ずっと抱えてるテーマで、なかなか達成できませんが、これを読んであらためて日々意識して過ごそうと思いました。
ありがとうございました
投稿: るな | 2009年6月12日 (金) 14:05
るな さん
ブログ更新がなかなか出来なくてすみません・・・。
コメントどうもありがとうございます。
ダライラマはいいお話をよくされていますよね。チベットの文化を破壊され、他国によって支配されても、そういう人達に対しても、慈悲と愛をなんて普通の人ならなかなか思えるものではありません。
「同じ人間であり、幸せを求めているのですから、私達の慈悲の対象なのです。」
そしてそれを実際に実践しているところが素晴らしいです。
ダライラマのように実践するのは難しすぎますが、ほんの少しずつでも近づいていきたいです
まずはちょっとずつでも「揺るがない自分」を確立することから、一緒にトライしてみましょう!!
投稿: あまりん | 2009年6月19日 (金) 14:05