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2008年1月11日 (金)

依存について

いつもいつも誰かに何かを決めてもらったり、承認を求めたり、確認しないと気がすまない、答えを聞かないと落ち着かない、「そうですね。」と言い続けないと安心できないという人がいらっしゃいます。

人の悩みや問題、その人の状態についてリーディングなどする仕事をしているので、個人セッションで質問に答えるのは当たり前ですし、それ以外の普段でも質問ばかりしてくる人もいます。仕事柄、仕方がないと思います。私だって、ゲリーさんと話す機会があれば、聞きたいことは山ほどあります。

ですけど・・・・

人に物事を全部決めてもらいたいと思っている人、自分で判断が全く出来なくて人に依存している人、誰かに確認しなくては行動できない人、自分がうまくいっているのか他人にいちいち承認・確認してもらいたいと思っている人・・・・これらの人を私のお客さんやブログの読者の中に作り出したくはありません。それは私の意図とは違います。

リーディングを受けに来るお客さんというのは、質問や悩みがあったり、自分の状態を知りたいと思う人がほとんどです。3ヶ月に1回や1年に1回というのなら問題ありません(その人に状態によって頻度は異なります)が、数日に1度とか頻繁に質問してきたり、確認・同意などを求めてくるというのは、依存しすぎなので、そこに何か問題があると思います。

これはリーディングを受けに来るお客さんだけではありません。

私に依存し、私が何か答えないと、判断したり決められないような人を作りたくはありません。

苦しい時、問題のある時、自分ではわからない時、縁があった時などには、もちろんお役に立ちたいと思いますが、毎回毎回誰かに確認したり質問しないと自分で判断できないような状態にはしたくないのです。

自分で自分のことを認められない人というのは、外側(自分以外)にその承認を求めます。

お金や社会的地位、名誉だったり、誰かと親しいということだったり、両親や先生、資格、誰かに愛されること・認めてもらうこと、異性にもてること、学歴、職種、家、車、ブランド品、会社・・・いろんなもので代用します。

自分で自分のことを認めていない人は、素敵な車を持つこと、お金を持っていること、人に尊敬されることなどで、心を満たそうとしたりします。自分自身に価値がないとどこかで思っているので、価値のあるダイアモンドや名誉や地位、お金などで満たそうとするのです。自分で自分の価値を認めている人は、お金を沢山持っていたとしても、わざわざ自慢する必要はありません。誇張して人に何かを言う場合は、その奥にその人の弱いところが隠されているか、よっぽど嬉しいとか、何か意図があってやっている場合でしょうね。

自分自身のことを十分に認められないからといって、常に他の人の意見を聞き、確認してもらわないと安心できないとか、人に頼らないと状況を把握できない、行動できないのは困ります。自分で自分のことも認めてあげてください。

月にリーディングを3度受けようとしたお客様がいて、3度目はお断りしたりしたことがあります。人によって必要な頻度は違いますので、月に3回以上のリーディングをしたことのあるお客様もいます(人によっては、1週間に3回電話相談にのったこともあります)。その時はそのお客様にとって緊急時で、大変そうだったとか、依存しているわけでなく、ちょっと話したかっただけだとか・・・そんな場合は回数に関係なくお話しますが、どうも依存しすぎていると思う時には、きっぱりとお断りします。

その人のためにならないからです。

自分のことはわかりにくいものです。だから質問したり、こうですよねと確認したい気持ちはよくわかります。でも頻度というのがあります。

松葉杖は、足を怪我した時に歩くのを助けるのに必要なだけです。

私が何か話すこと・書くことによって、その人がずっと松葉杖のままの状態=自分で歩くことが出来ないように仕向けるのは、私の本意ではありません。

大変だからといって、いつもいつも寄り掛かるようにはさせません。松葉杖なしで歩けるよう、自分で元気に歩けるようにするのが目的ですから・・・。

人を信頼したり、何かを学ぶことは大切ですが、自分の力で物事を理解したり、行動することも忘れないで下さい。いちいち誰かに確認しなくても、自分はうまくいっていると自信を持ってください(自分勝手にいつも突っ走ってしまう人には、別のことを言うかもしれませんが・・・)。うまくいっていない状態でも、それを乗り越える力と自信をつけてください。最初や途中までは、誰かの力を借りることもあるでしょう。でもずっと誰かに寄り掛かり、依存し続けたりはしないこと!!自分自身を信頼してください。

毎回毎回、いつもいつも誰かの意見を聞いたり、認めて(ただの返事の場合もあります)もらわないと納得できない、不安だというのなら、どうしてそうなのか、内側を見つめてください。そこに本当の答えがあります。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ずっとブログを読ませていただいていて、じつは最近ちょっと気になっていました。

同感です。
もっと早く書いても良かったのではないかとも思います。

投稿: 通りすがり。 | 2008年1月11日 (金) 16:06

あまりん様

大変ご無沙汰しております。以前リ-ディングをしていただいた”むむっちゃん”です。
本年も宜しくお願いします。
おかげさまで相談していただいた頃に比べると、かなり勉強に仕事に身に入るようになりました。
やはり何事も一生懸命やるものですね、人間は…。

以前(巫女としての僕の育ての親である)恩師先生のご子息に、「精神障害のある人は、死後の魂も精神障害なのでしょうか?」と質問したことがあります。
それと似たような質問を、あまりん様に、させていただきます。
「精神障害のある人をリ-ディングすると、精神障害者特有のものがあるのでしょうか?」


僕は霊能者である恩師先生とその子息先生を、今でも信じ尊敬しておりますが、一度だけ僕のクライアントに対する言い回しに不快感を抱いたことがあります。(それでも、お金を貰ったわけでもないのに、遠隔霊視をしてくれましたが)
その女性は、リストカット症候群(境界性人格障害合併型)で、当時高校三年生でした。
当初から、依存体質であることは予想していましたが、次第にエスカレ-トし、ひどい時には30分から60分おきに死にたいだの、電話やメ-ルが
僕宛に来たこともあり、僕自身対応が大変でした。
ある日、何気なくご子息先生に話したときです。
彼は、『そんなの子どもじゃん。甘えているだけなんだよ。そんでそんだけのお金を貰っているわけ。やめたほうがいいよ』と言いました。
この時僕が感じたことは、二つあります。
①第三者として、冷静に見ているな。②やはり所詮は、宗教(霊能者)なのか!?
僕が特殊なのかもしれません。
見えないものが見える能力を授かった後に、心療内科の医局に入局。ホリスティック医学を専攻しましたから。
心理臨床の人間に言わせると、精神科の奴は何でも病名を付けたがるそうです。
そういう意味では、大げさに考える僕もそうなのかもしれませんが、心療内科関係者は、精神科医と違って患者の背景を考えます。
なぜ自分に依存しているのだろう?いや依存体質ならば、何を訴えたいのだろうか?
それとも人格障害なのか、一時的な薬物による催眠性症状なのか?


依存的な人間の中には、焦点化できない人、精神障害の人等がいます。
一般的にこうした人は、宗教団体には近づかないと思いますが、臨床心理士やセラピストと呼ばれる人には頼ると思われます。
あまりん様の日記を読む限り、主張は妥当だと感じましたが、あまりん様も含むセラピストの方々にももう少し心理社会的背景を考慮する視点を持ってほしいなと思いました。
もっともリ-ディングということで、本来のお役目ではないのかもしれませんが。
あと予断ですが、リ-ディング・セラピストの社会的認知の為にも、医師や警察関係者によるセラピストへの情報提供・情報公開などが不可欠であろうと考えております。

投稿: むむっちゃん | 2008年1月12日 (土) 22:49

★通りすがりさん

そうですか!!
理解してもらえて、嬉しいです。
わかってくれている人がいるのだと安心しました♪


★むむっちゃん

お久しぶりですね。
この記事は、精神病の人を対象に書いていないのですね。精神病の人ではなく、普通の人で、ちょっと理解したり努力すれば、そこまで依存せずにやっていけるような人向けに書いています。

今は軽くなっていますが、私の妹が精神病なので、そういう人達もどうにかしたいという気持ちは持っています。
ですが、リーディングというのは、相手が自分の状態を少しでも理解する許容力、変容しようとする謙虚な気持ちを持っていないと、助けにはあまりならないのですね。これは、精神病の人に限りません。

特に依存していない、普通の人でも、こちらの話を聞こうとしなかったり否定したり、現状を認識しないのなら、リーディングしても助けにはなりません。

リーディングというのは、相性というのがあります。同じ内容のことを言われたとしても、人によって、この人に言われたら、受け入れられなくて、あの人が言うのは納得できるということってありませんか?
相手のことを信頼したり、認め合ってる相手でないと、何を伝えてもその人には入っていかないので、それが本当のことであったとしてもリーディングをして助けにならないこともあるのですね。人には相性があるので、リーディングにも相性があります。

むむっちゃんがリーディングを受けたとき、あなたはとても許容力があって、聞いてくれましたよね。だからそれはあなたの役に立ったのです。

これがそれは違う、信頼できない、受け取れないというお客さんなら、それは全く役に立ちません。

私は、私がリーディングで言った内容(ブログで書く内容)全てを鵜呑みにするお客さんにはなって欲しくありません。正しくないことも言うかもしれないからです。他の人には当てはまっても、あなたには当てはまらないこともあるかもしれないからです。そしてそれは自分自身でしっかりしていないと、それがあなたにとってどういう影響を与えるか、その内容を識別することが出来ません。

だから依存しないで、自分の足で立ってもらうよう、自分で理解するようにお願いしたいと書いたのですね。

私が言った(書いた)内容で、あなたのためになる事があれば、参考にして変容していって欲しいだけなのです。

なので、精神病の人はそれが自分に合ってるかそうでないか判断できずに、ただ苦しいので依存してくる場合などがあるので、それだとあまりお役に立てないのですね。

ちゃんと私の言った言葉の中で、自分に役に立つことがあるかどうか、当てはまることがあるかどうかを識別し、理解したり、今の自分を変えようという意識があるかどうかが重要なんです。そういう意識があれば、精神病の人でもOKなのですけど、そうでない場合は、現状では難しいです。

精神障害といっても、いろいろあると思いますが、普通の人が持ってるトラウマよりもっと強力なトラウマやストレスなどを抱えていることが多く、それを自覚するのが普通の人より難しいのですね。
自分の状態を見るのが難しい、本当の問題に向き合いたくない、認識したくないとか、出来ないので、エネルギー的には、オーラの中に雲のようなものがあって、その問題を覆い隠しているような・・・そのように見えることが多いです。

普通の人のオーラが、晴れと曇りが半々だと仮定すると、精神病の人のオーラはいつも曇り、時々晴れる。ところにより、豪雨、雷、台風・・・なんて感じでしょうか。人によって全然違うので、かなりおおまかなイメージだと思ってください。

投稿: あまりん | 2008年1月18日 (金) 00:21

あまりん様

丁寧なコメントありがとうございます。
どうやら、”セラピスト”への思い入れがとんだ思い込みを生んでしまったようですね。
蔑言曲言をどうかお許しくださいませ。
それにしても、あまりん様にはいい意味で裏切られましたよ。
もともと自分にはそういう能力がなかったのですが、やはり僕には、リ-ディングは出来ないでしょうね。
霊視とリ-ディングは、別のものだと思います。

自分を変えようという意識は、勇気がいることだと思います。
今まで自分が築いてきたモラトリアムを失いかねないわけですから…。
そしてその行為が周囲の期待に完全に合致しているか,周囲の理解の範疇に入るものか,でない場合、それこそ反対非難されることもあります。
反対非難する人たちの中には、いわゆる信仰者もいます。
見方の違いもありますが、それだけ信仰していても、自分を変えるという行為が理解しかねることもあるのでしょうね。
僕の場合、今は理解してくれていますが、あまりん様から受けた内容を親友に話した時、同じ信仰しているその友人は、現実から逃げている
と僕を激しく叱咤しました。

まあそういう人もいるからというのもあるんでしょうが。
以前カウンセリング学校の先生を介して、通っている母親から息子を助けてほしいと依頼されたことがありました。
引きこもりでもう20年以上も部屋を出ていないそうです。
精神科や心理士など、いろんなところへ相談に行きましたが、何も変わらず、母親は自分が悪いのではと心理学を学びにきたということです。
母親は疲れ果て、母親がだめになっちゃうとその先生は思ったそうです。
自信があるほうではなかったのですが、まず母親を助けようと思い、インテ-ク面接にて、家族状況・関係など聞きました。
母親の意識を変える家族療法的な方法を使えば、母親も本人も変えられると思ったからです。
母親の話から、家族の力動関係(誰が力関係で強いか、これを利用すると先祖の問題もわかることもある。)がわかりましたが、今ひとつ焦点ぼけがあります。
そこで本人の魂に働きかけて、霊視をしてみました。
だいたい原因がわかりましたが、問題はこれからです。
今回の僕の立場は、心療内科の心理士です。霊視した内容を話すわけいかないし、しかも本人が受け入れるわけがありません。
(この時既に、霊視と医学的な診断から、統合失調症の可能性がわかっていた。)
したがって、霊視した内容をどう心理療法に生かすかがポイントでした。
母親を介して、行動療法的アプロ-チを始めてから、3回目でしょうか。
忘れもしません。突然母親から電話があったから至急来てほしいと言われ、かけつけました。
病気が病気だけに、心配していたのですが、母親からの話では突然、外に出たい,旅行に行きたいと言われ、動き始めたということでした。
結局旅行先で、座り込み、救急精神科医に保護され、僕自身の判断でその医師に任せることにしたのでその後はわかりませんが、少しいい方向へ
進んでいったのは間違いなさそうです。(ちなみにその医師から診断名はあっているとお墨付きを貰った。)
コメントの最後の文章で、あえて医学・警察関係者との連携に言及したのは、このような経験があったからです。

投稿: むむっちゃん | 2008年1月20日 (日) 21:11

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