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2007年12月 4日 (火)

星を眺めながら

私の前世の1つに、たぶんネイティブインディアンだったことがある。

まだ1場面しか出てきたことがないので、『たぶん』としか言えないけど・・・。

その場面は夜なので暗く、どんな土地だかはっきりとはわからないのだけど、グランドキャニオンのような岩場の上で、大地に寝転がって、空を眺めているのだ。

きらめく満天の星を眺めながら、大地に寝転がっている私・・・。インディアンの男性だろうか。

気候もよく、すがすがしい気分。虫の音が聞こえる。そして、満天の星・・・・。とても美しい星・・・。

『大地が我が家。この大地と空全部が私の我が家だ。』

インディアンの私はそんなことを感じながら、星を眺めていたのですね。

小さい頃、私はなぜかこんなことを考えていました。

「なぜ国や領土、自分の家と区切るのだろうか?地球や大地、空が我が家でよいのではないか?なぜ人々はそうやって自分の敷地や国、家と小さく区切って、その中で生きるのか?」

私が小さい頃からそう思っていたのは、屋根も家も必要なく、この広い大地が私の我が家と思って生きていた、そのインディアンだった時の体験が影響していたようです。

もし家や屋根があったら、この美しい満天の星を寝転びながら見ることが出来ないではないか?そのインディアンには、家とか国・自分の敷地とか区切るような常識はなく、地球と大地が我が家だったのですね。星を眺めながら、我が家でくつろぐ・・・それだけで幸せだったのです。

なので、子供の頃、家のベッドで寝転んで天井が見えるというのは、なぜか物足りないように思っていました。つまらなかったのですね。でもなぜつまらないのかは、さっぱりわかりませんでした。

なぜ物足りないと思うのか理由がわかったのは、夏休みにおじさんの山小屋に連れて行ってもらった時でした。私のおじさんは大学の頃から天文部(?)で、メンバーみんなで奈良の山奥に自分達の小さな観測所(山小屋)を建てていたのでした。観測所といっても、掘っ建て小屋ですけどね。

その山小屋はすごい田舎にあって、車は夜に到着しました。舗装もされていない道をジャリジャリと車で通ったのを覚えています。車から出たら、何蛙か知りませんけど、大合奏をしていて、虫とカエルの鳴き声だけが鳴り響いていました。

山小屋は、一応電気と水道・冷蔵庫はあるのですけど、小屋の中も虫だらけで、部屋の中が白くなるほど殺虫剤と虫除けスプレーをかけまくりました。

やっと部屋の中の虫はなんとかなって、さあ、メインイベントの始まり!!

電気を消して、おじさんがスイッチを押すと、なんと天井にあった屋根がガガガッーーーっと開き、満天の星が見えてきたのです。屋根はスライド式になっていて、それを開くと(たぶんガラス張りになってて)お空の星が見えたのですね。すごぉ~いい!!

山奥の田舎だったし、天気もよかったので、星はキラキラ輝いていました。

そして更に望遠鏡で空の星を見たので、星はすぐ近くに大きく見え、大興奮でした!!

夜寝るときは、そのまま横になって、空の星を眺めながら眠りにつきました。

その時に、あのインディアンだった時の感覚が戻ってきたのですね。大地や空や星とつながっている、あの素晴らしい感覚・・・・。

「ああ、私はこうしたかったんだ!!星を眺めながら眠りたかったんだ!!」

そのインディアンだった時の『星を眺めながら、大地に寝転んでいる場面の映像』が見えたのは、その山小屋体験の何年も後でしたが、それでやっとなぜ私が子供の頃からずっと屋根があってつまらないと思ったのか理解できました。

そのインディアンがどのような一生を送ったのかはわかりませんけど、今でも、その一場面だけ見えることがあります。そのインディアンの人生は、きっとその場面に集約されているのでしょう。

「大地が我が家。」

あの感覚の時には、小さいことであれこれ争ったり、喧嘩したり、悩んだり・・・そんなことはどうでもよくなり、とてもおおらかな気持ちになります。大地とつながっているというのは、心地のよいものなのですね。

皆さんも前世の何かを思い出すと、何かほっとするような、懐かしい気持ちになることがあるかもしれませんね。

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